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小寺香奈の見る世界

 一言──たまげた。
 ディスカヴァリー・ユーフォニアムと題した、小寺香奈のユーフォニアム・リサイタル。
 これほどまでに、現代音楽を聞かせることのできたユーフォニアム奏者は、今までにいたであろうか。少なくとも、僕は知らない。
 世間一般では難解と言われがちの現代音楽だが、彼女の演奏はそれをいっさい感じさせることはない。有無を言わさぬ説得力を持ちながらも、けっして押し付けがましくなく、自然体で聴衆をエスコートしてゆく小寺香奈。皆気づいた時には、いつのまにやら音楽の中という具合である。
 また、現代音楽を演奏する場合、セッティングにも気を使う場面が多い。しかし、にこやかな表情でひとつひとつの場所を吟味する彼女は、どこか大切な人の来訪を前に、部屋を飾りつけるような趣きをかもし出す。そして音楽を伴い、独創的な空間を創り出すのだ。
 元来、奏者の良し悪しを論ずるに、音色という要素は欠かせない。昨今の愛好家を見ても、音色談義は絶えないものだ。だが彼女にいたっては、あてはまらない。小寺香奈というユーフォニアム奏者を論ずるに、音色という要素は不必要に思える。その音楽が全てなのだ。
 もちろん実際には、彼女自身、多種多様な音色を使い分けている。しかしその色の多くは、常人のパレットには存在しない色である。思いもよらない色というのだろうか。彼女は作曲家と共に、新たな色を生み出してゆける稀有な演奏家なのだ。
 演奏家? いや、違う。演奏家という呼び名は、彼女に値しない。確かに僕の知る、以前の彼女は演奏家だった。しかし、昨晩出会った小寺香奈は、演奏家から音楽家を跳び越え、芸術家になっていた。恐るべし、小寺香奈。
 あまり褒めちぎると胡散臭いので、ひとつ苦言を呈しておこうと思う。
 現代音楽作品と並べて配置したバロック作品においては、現代音楽のために用意した色が、発音に混じったように感じた。別の意図を持ってのことかもしれないが、聴衆は記憶の底にある弦楽器の音よりも、間近に聞いた現代作品を演奏する彼女の音と比べてしまう。聴衆の記憶からサルベージ出来るような、音作りも必要ではないだろうか。
 あれほどの演奏を聞きながら、まだ他に求めるのは、非常に贅沢な話であるが、そこは同期のよしみでご容赦願いたい。
 僕は思う。
 小寺香奈の耳には、常人には聞こえない音が──いや、色が見えていると。
 その色を使って、いったいどんな音楽を描き出してゆくのか。いち友人として、楽しみでならない。
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美人だのぅ ω
  • posted by ω 
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  • 2014.09/17 03:36分 
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